注意:下单成功一律不能取消!
私の祖父が大正2年から、奈良法隆寺に修行に行き、法隆寺近くに有る中宮寺の尼住職様に頂いた品です。
中宮寺は、宮家の皇女を迎える尼門跡寺院です。
祖父はもう故人であり、箱書き等は無かったので、どのような謂れの品か不明だったのですが、ネット検索にて、同じ品がヤフーオークションで取り引きされた記録を見付けました。
写真だけの判断ですが、寸分違わない品なので、間違いないと思い、ヤフーオークションの情報にて出品します。
亀甲形松鶴文 ボンボニエール
聰子内親王(明治天皇第九皇女子)・東久邇宮稔彦王御結婚記念(大正4年(1916))
5.5×4×2.6cm
七宝紋 銀製
経年による色変わりや古びは有りますが、サビや目立つ傷等は有りません。
紐を通すカンが付いていますが、紐は有りません。
木箱に入っていますが、共箱かどうかは不明です。箱の底に亀裂が有ります。
ヤフーオークションにて取り引きされた金額146,000円にて出品します。
以下はネットの情報です。
結婚時期: 1915年(大正4年)5月
新婦: 聰子内親王(としこないしんのう、1896-1978)。明治天皇の第9皇女子、お印は泰宮(やすのみや)。
新郎: 東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう、1887-1990)。東久邇宮家を創設し、戦後に第43代内閣総理大臣を務めた。
背景: 明治天皇の娘と朝彦親王の王子の結婚であり、明治〜昭和期における皇族の系譜において重要な婚姻でした。
東久邇宮稔彦王は、戦後に57歳で総理大臣に就任し、102歳まで存命するなど、歴史的にも著名な人物です。
昭和22年10月14日に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家のうち、久邇宮(くにのみや)家から分かれて明治39(1906)年に創設されたのが東久邇宮(ひがしくにのみや)家です。
宮家当主の稔彦(なるひこ)王が明治天皇の皇女、長男の盛厚(もりひろ)王が昭和天皇の皇女と、宮家は二代にわたって内親王(ないしんのう)をお妃に迎えました。
稔彦王は終戦直後、昭和天皇の信任を得て歴史上初めての皇族内閣を率い、わずか二ヶ月の短命内閣ではありましたが、降伏文書の調印などの終戦処理にあたりました。