初代雲文、糸賀のご両人は別格として30年第40年代に職人番付で横綱の地位を保っていた職人さんです。
オークションっでも高値の時は100万近い値が付いたと聞いています。
槻武義〈雅号 武義〉 引退 昭和21年雲州七人衆の一人に認定
水害に合ってしまった二代目永臺さんのそろばんが修理に出されたとき、修理不能なため代わりにと言うことで”品評会で1位“の武義の作品を送ってもらったというエピソード。永臺さんまではいわないけれどそれと同等に近い評価がされていたことが伺えます。
何せ雲州七人衆と言ったらたった七人しか認定されていないのですから・・・
昭和40年ごろの職人番付で横綱の地位にあった方で今はあまりご存じない方が多いようです。写真はこの職人さんおワンタッチソロバンです。ネット上でもスタンダードは時折中古のものが見られますが未使用のものは珍しいのではないでしょうか。
私自身も昭和37年ごろ当時の師匠に唯いた19桁で岩柘植玉のそろばんを50年以上愛用しています。
雲州七人衆とは、当時7人が算盤つくりの名工とされ特級品としての販売を許されたものです。今では氏の作品で未使用のものをお持ちの方はほとんどいないでしょう。