会津本郷焼の燗徳利です。こちら2箇所大きいニュウがあります、試しに水を入れてみた所水漏れがありました。
ですので実用品としての使用はおすすめしません。実用品として利用を検討されているのであれば金継ぎ等の補修をされてからの利用が望ましいと思います。当方では自宅のインテリアとして飾っており実用品としての利用はしておりません。
ニュウは長さが大体ですが約10cmと約6cmの長さです。
ニュウがありますので完璧を求める方や神経質な方はご遠慮ください。
キズあり、古い物にご理解のある方のみ宜しくお願い致します。
大きさ→高さ約19cm
会津本郷焼の歴史↓
安永六年に江戸から陶師近藤平吉を招請し会津での磁器生産の技術指導が入る。さらに寛政九年に佐藤伊兵衛が肥前有田への磁器焼成の技術習得の旅に出る。これは当時藩の磁器製作への一方ならぬ期待がうかがえます。伊兵衛は鍋島藩の菩提寺の下僕となって、まわりの人からも信頼され、有田の窯場に出入りしながら陶石・釉薬・絵具の調合方法などを詳細に習得して帰国、寛政一二年磁器の焼成に成功しました。伊兵衛は会津本郷焼磁器の祖として、陶祖水野源左衛門とともに常勝寺の陶祖廟に祀られています(二瓶清「会津文化史」)。磁器の登場は画期的なことであり、従来から生産されていた陶器は藩の保護があったとはいえ、まだ藩の産業とはいえませんでした。しかし磁器の成功にともない、藩窯業として重要な国の産業となりました。
また町奉行の下に瀬戸方役場が置かれ、伊兵衛は瀬戸方棟薬に任命されます。こうして制度的にも整備拡充するうちに技術的にも向上し、文政年間には手代木幸右衛門はセメ焚き (還元炎焼成)に成功し、ようやく白い磁器の焼成を得ます。また同じ会津の陶工である加藤平八は、文久年間に染付密画の技法を開発し画工斎藤伊緒が山水・草花などの画法を伝授、京都の画工茂吉が錦手の焼成法を伝授し会津磁器の完成となりました。
ニュウがありますので金継ぎの素材としてもよいかと思います。
即購入された方は納得の上購入されたと認識しますので購入後に「思っていたのと違う」等無きようしっかり写真を見てからご購入下さい。
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